「き、貴様は……」
「一体、おまえは何なんだ!」
ガーディアン全員が戦慄する中、エリザヴェータと雛菊は震える声を絞り出す。ガーディアン達……いや、ここではガーディアン・オリジナル達と呼ぶべき者達は全員が恐怖で固まっていた。ただ一人、首を落とされた京以外は。美しき女戦士の首は胴と切り離されて、草の上に転がっている。京の残された首から下の身体は血を噴きだしつつもぐっと立っていた。だが、やがて胴体も崩れ落ちるように地面へと倒れた。完璧なタイミングで防御していたにもかかわらず、恐るべきことに京の首は相手の一撃で落とされたのだ。人気の無い公園に敷かれた芝生が、みるみるうちに京から流れ出した血で紅く染まっていく。
手刀によるただの一撃で京の首を切り捨てた女はにっこりと微笑む。
「どうも、ごきげんよう。天の力を持つガーディアン、中尊寺愛と申します」
愛はスカートの裾を持ち上げ、笑顔で優雅に礼をしてみせた。
それより一週間前のことに話は遡る。
「はっ!」
京の身体から伸びた血が悪魔の身体を掴み、打ちっ放しのコンクリート壁へと叩きつける。正面から壁にぶつかった悪魔の赤い顔面に、鼻から噴きだした紫の血が流れ出る。
「うぐわっ、はぐ、ぐあ……」
人間ではあり得ない岩のような筋肉をつけた3メートルもある化物じみた身体を持つ悪魔でも、京の血を振り解けないようだ。牛の頭蓋を握りつぶせる膂力を持つというのに、巨大な手の形をした血の束縛を抜け出せない。子供が人形を振り回しているような動きで、悪魔は続けざまに壁や天井へと身体をぶつけられる。巨体がぶつかった衝撃で、ビルに蜘蛛の巣状のひびが幾つもはしる。
「ほらほら、根性出しなさいよ。奈落の悪魔なんでしょ、あんた」
京に残忍そうな薄ら笑いで挑発されるが、悪魔としては返事をする余裕も無い。筋力自慢というのは、超常の能力者であるガーディアンの前では何の足しにもならない。その力で殴る前に、ガーディアンの強力な能力で逆に嬲られてしまうのだ。
ガーディアンはルーチンワークである悪魔退治に精を出していた。飯田が提供する情報に従って、廃ビル、廃工場、倉庫などを回り、違法薬物製造を手がける悪魔などを退治して回っている。今日はその一環で、都内から近い山中の廃ビルに潜む悪魔達をガーディアンは狩っていた。
ガーディアン達は悪魔の肉体を破壊し、殺して奈落へと送還を続けているのだが、気がつくと悪魔は日本で数を増やしている。まるで繁殖力旺盛な害虫のようだ。一度滅した悪魔は最低でも百年は戻ってこない。それなのに奈落の階層支配者(デーモンロード)達は無限に近い悪魔を次から次へと送り込んで来ている。いたちごっこに近い状態なので、ときどきガーディアン達は、壮大なもぐら叩きをしているような気分に襲われる。
「ち、畜生……前回もガーディアンに居場所がバレるし、何てついてねーんだよ」
「なに?」
嬲っていた相手が零した一言が、京の注意を引いた。彼女は操っていた血の動きをピタリと止め、悪魔の身体が宙で止まる。
「私たちが以前ミスで見逃してたってこと?」
「ちげーよ。おまえらじゃねえ、糸を操るガーディアンだよ」
「糸……そんなのは」
居ないと言葉を繋ごうとした京は、口をつぐんだ。いつも通りのザコ悪魔相手のゴミ掃除だと思ってうんざりしていた京は、思わぬ収穫を見つけたようだった。こんなカビ臭い廃墟ビルにやってきた甲斐があったかもしれない。
「その話、詳しく聞かせなさいよ」
「はっ? どうせ殺すんだろ。何で俺がおまえに……」
「話さないようであれば、一ミリずつ、スライスして殺していく」
「な、何だと」
京の腕から血が枝分かれして伸び、幾つもの刃を作り出す。血で出来た剣や鎌、斧の鋭い形に巨漢の悪魔も思わず生唾を飲み込んだ。
「た、頼みがある」
「何よ」
「話すから、殺すときには一思いにやってくれ」
悪魔の懇願に京は心底蔑むような侮蔑の笑みで微笑み返した。
「痛みを感じる暇も与えないから、安心するといいわよ」
しばらく後に、轟音と共にビルの横壁が吹き飛んだ。
「全く、何て音を立ててるんだ」
土煙がもうもうと立ち込める部屋へと、雛菊が足を踏み入れる。見れば壁に大穴が開き、廃ビルの外に瓦礫が散乱している。京が悪魔を殺す際に、思いっきり壁に叩きつけたのは明白だ。
「幾ら郊外の廃屋でも、音を誰が聞きつけるか、分かったものではないぞ。唯様が居ないのだから、もう少し自重をだな……」
「お説教は止めて頂戴」
くどくどと自分を非難し始めた雛菊に対して、京は眉をしかめて言葉を遮る。
「そんなことより、さっきの悪魔からロクでもないことを聞いたわよ」
「ロクでもないこと?」
「そう。私たち以外のガーディアンについて」
京の発言に、雛菊は訝しげに首を傾げる。
「私たち以外のガーディアン? どういうことだ」
「ミンチにした悪魔の話だと、ガーディアンを名乗る女に、そいつが以前属していたグループが壊滅させられたそうよ」
「騙りか何かか?」
雛菊が騙りだと思うのも無理はない。ガーディアンは二千年間、常に雛菊や京を始めとする十二人であったからだ。今ならば唯も含めてもいいかもしれないが、彼自身がガーディアンを名乗ったことは記憶に無い。
「詳細は不明よ」
「あのウェポンGとかいう奴らの可能性は」
「多分、それは無いと思うわ。あいつらに糸を操るやつって居たかしら?」
「いや、襲撃してきた奴らには、そういう人物は混ざっていなかったな」
京と雛菊の記憶にあるのは、軍人の男、超再生能力を持つ背の低い覆面、空間爆発能力者の女、剣を強化する男、そしてブーメランを磁力で操る男だけだ。そのうち何人かは名前を名乗っている。
「奴らの仲間という可能性は排除できないけど、違う可能性の方が高いと思うわ。とりあえず、正体を暴けばいいわ」
「厄介そうだな」
「有力な手掛かりがあるわ。相手の着ていた学生服の特徴を悪魔が覚えていたわ」
「学生服? 学生なのか?」
「まあ、早苗や麗みたいに偽装している可能性も高いでしょう」
早苗と麗は外見こそ学生に相応しいが、京と雛菊と同い年に等しい。京は一通り話すと、雛菊が来た道を辿り始めた。
「とりあえず、情報をみんなで整理しましょう。円に任せれば、相手の着ていた学生服っていうのもわかるでしょうし」
「ああ、そうだな」
京に同意しつつも、雛菊はどうもしっくり来なかった。悪魔のみならず、妖怪、怪物、国家的機関、邪教集団などとも戦った経験があるガーディアンではあるが、最近の式神やウェポンGの襲撃といい、何か違う気がするのだ。困ったことにそれが何なのか、雛菊は言葉に出来ずにいた。違和感を拭えないまま、雛菊は他のガーディアン達へと合流した。
「獲物が餌に思いっきり食いついたみたいよ」
「そうですか。それは朗報ですわ」
リビングルームの一角で長髪の美少女による淡々とした報告に、それに負けないぐらい美しい少女が頷く。プライドが高そうなキリッとした顔つきの少女は、雛形真中。もう一人の妖艶な雰囲気を醸し出す人物は中尊寺愛だ。愛は真中の同級生であるはずだが、少女とは思えないような妖しげな容姿をしており、真中は彼女を胡散臭そうに見つめている。
「何を……考えているわけ?」
「罠を仕掛けて、罠にはめる。それ以上に特にありませんわ。悪巧みをしていると思われるのは心外ですわ」
真中の言葉に、愛はにっこりと微笑んでみせる。まるで人を罠にはめるのは、悪い行為ではないと心底思っているかのようだ。慈母のような笑顔なのだが、真中には醜悪な仮面に思えてならない。
「しかし相手が仕掛けに食いついたということならば」
「対面するのはすぐってことね」
愛の言葉をサイドテールの愛らしい少女が拾う。この元気そうな少女は中尊寺香奈恵だ。
「そうなると頑張って訓練を仕上げないと」
「そうそう。頑張りましょう」
ガッツポーズをする香奈恵に、愛はやはり優しい笑顔を返す。
「それなら、零のことはどうするの? 巻き込まないという約束よ」
「ええ、分かっています」
さっきまで黙っていたロングヘアーの少女が、愛に食いついた。若干ミステリアスな雰囲気がある彼女は、桑田嶺という。嶺が示唆した零というのは、幸田零のことだ。零は嶺と歳が一つ違うのだが、そうとは思えないくらい小柄で愛くるしい少女だ。今はテレビで放映している洋画劇場に食いついて、じっと見ているため、零には愛達の会話は聞こえていない。
愛はテレビがコマーシャルに切り替わるタイミングを見計らって、彼女に近づく。
「零、ちょっといいかしら」
「えっ!? 何かな」
「実は悪魔の潜伏場所がまた分かったの。複数あるから手分けしていかなくちゃいけないんだけど、零には一人で向かって欲しいの」
「一人! そうか、一人か……」
愛の説明に、零の瞳が明るく輝く。
「大丈夫ですか、一人でも」
「任せて。最近、守ってばかりだったから、一人でも戦えるのを見せないとね」
「ええ、アーマードフューリーの活躍を期待していますわ」
「ばっちりだって」
零の両手にガントレットが形成され、彼女は思いっきり手甲をぶつけて闘志をアピールする。愛の言う通りにアーマード・フューリーの出番だった。それに零は思いっきり興奮している。これで零の意識は完全に悪魔討伐に向かい、愛達の計画からは目が逸れるだろう。だが母のように慈しむように零を見ている愛の姿に、真中、嶺、香奈恵はこれでいいのかという疑念が生まれる。全ては中尊寺愛の手の平で転がされているのではないだろうか。
それから更に二日が経過した。芽衣のマンションで、唯を除くガーディアン全員がリビングに集合していた。唯が友人と遊びに出かけたことに、これは幸いと集まったのだ。
「目標が通ってる学校だけど、ほぼ間違いなく特定できたわ」
円がテーブルの上に写真を何枚か広げる。そこには特徴的な制服を着た女子達が何人も映って居た。そのうち一枚を京が取り上げる。
「確かに悪魔が言っていた制服に似てるわね」
「京が脅した悪魔が以前襲撃された場所を中心に、悪魔を捕まえて締め上げたところ、確かにこの服を着ていたという証言を得られたわ」
「じゃあ、ここに通っているということか」
エリザヴェータがテーブルにあったパンフレットを手に取る。爽やかな笑顔で微笑む生徒の写真が載っている表紙に、聖真学園と印刷されている。
「しかし、何でガーディアンを名乗ったんだろう」
「まあ、悪魔相手のはったりにはボク達の名前は有効じゃない」
首を傾げる由佳に、早苗が答える。彼女達は二千年前から現世に現れる悪魔達と戦い続けてきたのだ。十二分に天敵を名乗る資格はあり、悪魔相手にはその名前は存分に広まっている。相手を警戒させるには十分だろう。
「じゃあ、その騙りを捕まえるということでいいかしら」
「……本当に騙りなのかな」
芽衣の方針に、円が疑問を呈する。円の言葉に、今度は静香が質問する。
「どういうこと?」
「確か、相手は糸使いよね。少し思い当たることがある。二千年以上前のことだけど、雛菊は覚えているかな」
「私か?」
「私たちに完全に魂を吹き込む前に、選定のために作られた幾つかのプロトタイプのこと」
円の指摘に、雛菊がはっとする。もちろん全員がそのことを覚えていた。完全なる魂を吹き込まれる前なので、感情は無かったが、記憶は確かに残っている。最古の記憶によれば、ガーディアンは人造の魂を憑依させる前に、能力を試験させられた。攻撃能力や防御能力のテストに、模擬戦を行わされた。ガーディアン達は魂を入れられる前だったので、創造主の命ずるままにそれを行った。魂を入れるに価するか試されたのだ。
「製造されたプロトタイプは十七体。実際に運用されたのは言うまでもなく十二だから、五体余ってる。そのうちの一体は糸使いだったよね、雛菊」
「そうだ。私と同様に接近戦タイプだ。実際は私より優秀だったようだが……」
「創造主達が残した資料によると、剣の方が格好良いだか何だかで、そっちを採用したらしいよ」
「良かったじゃない、雛菊」
「茶化すな」
円の説明を遮った麗に、雛菊は眉を寄せる。二千年近く経つのに、雛菊には能力選定の過程は微かに忸怩たる思いがあった。雛菊は自分の能力を誇りに思っているが、選ばれたのは能力の優位ではなかったという話なのだ。生真面目な雛菊にしてみれば、プライドを傷つけられる思いだ。
「創造主はプロトタイプを残してたの?」
「魂を吹き込まず、保存してた可能性はあると思うわ」
「そのプロトタイプが二千年近く経って、ウロウロしてるってわけ?」
「じゃなければ、ガーディアンの名を騙る理由が見あたらないんだけど」
懐疑的な芽衣に、円は理屈をつけて見せた。確かに筋は通っているが、二千年前に生まれた自分達の姉妹がギリシャを離れて、日本に来ているということは不可解だった。第一、魂をガーディアンに入れる方法など、科学が何より発展している現代の日本にあるのだろうか。ガーディアン達は今では失われて久しい神聖な儀式を経て、作られているのだ。
「でも、もしそうだったら唯様には内緒にしておかないとね」
「どうして?」
ミシェルの唐突な提案に、楓が小首を傾げる。
「もし相手がガーディアンなら、主の言霊は有効っていうわけでしょ」
「うんうん」
「それで配下になったとしたら、私たちのライバルが増えるってことじゃない」
ミシェルの困ったような一言に、全員の顔から一斉に血の気が引いた。鉄面皮の楓や、楽天家の早苗も驚愕の指摘に目を見開いた。
「おまけに相手は女子校の制服を着てるっていうから、若いっていうのが確定なわけだし」
「じょ、冗談じゃないわよ」
「困るわ!」
ミシェルのため息混じりの指摘に、百合と芽衣が思わず立ち上がる。いつのときでも、自分達より若くて魅力的な女の存在はガーディアンにとって最大の脅威だ。自分達十二人ならば、唯が付き合うのは許せるが、それ以外となると全くの許容範囲外でしかない。そんな存在である別のガーディアンが降って湧いては堪ったものではない。当の唯は今のところ、他の女性に目移りなどしないのだが。
「とりあえず、この件は唯様に秘密で進めるわよ。相手の正体も分からないわけだし、もっと情報を集めないと」
「ええ、そうね」
円の冷静な言葉に、芽衣もようやく落ち着きを取り戻す。一先ずの方針が決まったガーディアン達は、その場で解散となった。
「静香お姉さま。仮に相手がプロトタイプのガーディアンだとして、どんな相手だと思います?」
「そうね」
自室に引き上げる途中で、早苗が静香に聞く。早苗は静香の意見を興味津々で聞いているが、静香としては情報が少なすぎて推論するのは難しかった。
「とりあえず、強いのじゃないかしら」
「どうして、そう思います?」
「私たちは二千年間の経験でノウハウがあるけど、最近起動したというのなら、経験が少ないはず。それでも悪魔退治するだけの力があるということだから、ガーディアンとしての能力が高いのではないかしら」
「なるほど……強敵かもしれませんね」
「嫌な話だわ。闘争は嫌い」
静香は深くため息をつく。最強と目されるガーディアンの苦悩は深かった。
翌日のこと。ガーディアン達が秘密にしている会合の内容を知らない唯は、学校から下校する道を歩いていた。いつもの仲良し四人組と別れて、寄り道する先は決まっていた。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ、麻生様」
学生に似合わない骨董屋に唯が入ると、いつも通り部屋の奥で飯田は座っていた。彼は穏やかそのもので、人当たりが良さそうな店主を演じている。だがこの人畜無害そうな中年が、いざとなれば奇怪な悪魔の騎士へと変わることを唯は知っている。以前飯田がウェイドと激突した際に、唯は音のソナーによってその姿を捉えていた。だが唯はそのことについては言及しないでおいた。飯田が助けてくれたことは例外だったに違いなく、その好意を無にしたくなかったからだ。
「麻生様、何か私の顔についていますか?」
「い、いや、何でもないです」
しかし、この飯田の首自体は飾りで、本当の顔は金髪の美女というのは、どうも唯にも信じがたい。ついつい何の変哲もない中年の顔を凝視してしまう。
「ところで飯田さん、何か悪魔の情報は入ってますか?」
「ええ、入っておりますよ」
唯のリクエストに、飯田は近くに置いてあった封筒を幾つか取り出す。
「悪魔の動向のレポートは掃いて捨てる程にいつもありますよ」
「うーん、そんなに来てるのか」
「先日も皆口様が、しばらくは悪魔の情報はいいと、伝えに来ましたし。ガーディアンの皆様も、倒すのが追いついていないのでは?」
「えっ、どういうことだろう」
飯田の返答が意外だったようで、唯は眉根を寄せる。確かにガーディアン達は、ここ最近はひたすら悪魔の討伐などで忙しかったのだ。しかしここ数日はそれが嘘だったかのように、ピタリと全員揃っての外出が止んでいた。悪魔の情報は多いのに、排除しに行かないというのは何かあったのだろうか。
「どうかされましたか?」
「いや、その……少し悪魔退治を休憩しているようだったから」
「ああ、なるほど。ガーディアンの皆様も少しお疲れなのではないでしょうか」
「確かに、しばらく疲れていたときもあったけど」
ガーディアン達がしばらく前に疲労していたのは確かだ。ただ、最近は疲れてぐったりしているような様子はない。やろうとすれば一週間ほど不眠でいられるほどガーディアンはタフなはずだ。ここで悪魔討伐に小休止を入れる理由は分からなかった。
「芽衣さん達に何か考えがあるのかも」
「まあ、それならば構わないのでは。既に夏から十二分な数の悪魔を退治されておりますし、悪魔の動向は引き続きこちらでも把握しておきますので」
「すみません、いつも」
「いえいえ……私には私の思惑もありますから」
恐縮する唯に飯田は人の良さそうな笑みで答える。悪魔なのに、この率直なところが、唯の警戒心を和らげているに違いない。
それから軽く幾つかの情報をやり取りしたあとに、唯は骨董店を後にした。飯田はにこやかに唯を送り出したが、内心では疑念が疼いていた。悪魔殺戮マシーンと同義語に見ているガーディアン達が悪魔退治をサボって、一体何をやっているのだろうと。幾つか考えられる可能性はあったが、飯田は最悪のシナリオを探る必要性があった。
「幸田様、失礼ですが少々よろしいでしょうか」
「え……ええっ!?」
下校途中の大通りに面した歩道で背後から声をかけられた零は、相手の姿に驚いた。声をかけてきた飯田が、普通の服ではなく、以前会ったときと同じメイド服だったからだ。前に会った際にはアンティークショップだったので、風景に溶け込んでいたが、人通りの多い往来では金髪のメイドは尋常でなく目立つ。声をかけられた零も、制服に反して身長が随分と低いので、この組み合わせは違和感がある。すぐに道行く人々の注目が集まってくるが、零としても知り合いを無視することはできない。仕方なく飯田と話をする覚悟を零は決めた。
「何でしょうか、飯田さん」
「最近、何か変わったことはあったでしょうか?」
「何か変わったこと……」
飯田の質問に、零はどう答えていいかわからない。零が意識を取り戻して、ここ数ヶ月で彼女を取り囲む環境は大きく変わった。真中との戦いと和解、嶺と真中との調停、三人での同居、香奈恵と愛の出現と激突、そして……。
「うーん、飯田さんは私のことをどのくらい把握してる?」
「幸田様がガーディアンとして、悪魔退治をしている程度です。正直に申しますと、他の四人の方々共々、どのような方か調査をしてもさっぱりでして……」
「そうなんだ」
「雛形様だけが、唯一ご両親が内閣特殊事案室で勤務されていたと把握しております」
「そこまで把握してたんだ……」
飯田の言葉に零は驚く。飯田は嶺、香奈恵と愛の正体については知らないようだが、それでも情報収集の力はなかなかのもののようだった。さすがは奈落の悪魔ということか。何らかの情報源を持っているか、情報を集める能力があるのかもしれない。
「最近は変わったことばかりで、何か変わったことって言われてもね」
「他の四人の方が、奈落の悪魔以外に出会っているという話はありませんか? 地獄の悪魔や、それ以外に……」
「うーん……」
零は飯田の質問に困ってしまう。地獄の悪魔について警告してくれたのは飯田で、そのおかげで香奈恵や愛とのトラブルにも、何とか零は対処出来た。飯田と出会わなかったのなら、もっと酷い状況に陥っていたかもしれない。だが今や香奈恵と愛は零の味方についている。元地獄の悪魔である二人を見て、飯田がどのような反応をするか、わからなかった。
「特に無いかな」
「左様でございますか。それなら良いのですが」
「強いて言うのならば、最近ちょっと悪魔退治に忙しいかな。気を悪くした?」
「いえいえ。競合相手ですから、却って大いに助かります」
飯田は零ににっこりと笑う。金髪の美女に満面の笑みで応えられ、零は思わずドキリとしてしまう。ガーディアンの本能で、相手が悪魔というのはわかるのだが、香奈恵や愛とも接している身だと抵抗感が薄いのかもしれない。
「それなら良かった。最近は自分一人でぶっ飛ばしてるしね」
「お一人で……ですか?」
「うん。悪魔の数が多いってことで、五人で手分けしてるから、戦うときは一人で任されてるよ」
零の説明に、飯田は違和感があった。飯田の集めた情報によると、真中と嶺は零のことを非常に可愛がっているとのことだ。幾らガーディアンの能力が絶大とはいえ、一人で奈落の悪魔に立ち向かわせるということがあるだろうか。それに新たに零の仲間になった二人のガーディアン、香奈恵と愛もそんなに冷酷に見える容姿ではない。素直な零に対して仲間の信頼が厚いのかもしれないが、こんな可憐な少女を四人は戦いに一人で送っているのだろうか。
「普段はお一人では?」
「いや普段はみんな一緒かな。でも真中先輩達が即座に倒しちゃうから、出番が無いのがね……」
「なるほど。どうもお時間を取らせてすみません」
「聞きたいことってこれだけ?」
「……幸田様は他のガーディアンについてはどの程度、ご存じでしょうか?」
「わたし……俺の身体の元になった相手だよね」
零はわざと男言葉に直して言うと、眉を寄せる。
「二千年近く戦ってきた英雄……正直想像がつかない」
「そうですか。わかりました。失礼致します……私の居場所はご存じですよね、何か助けが必要な場合はいつでもどうぞ」
ペコリと頭を下げると、飯田は街の雑踏へと消えていく。現れたときと同様に唐突に去るメイド姿の悪魔を、零は呆然と見送るしかなかった。聞けば飯田が自分の前に現れた理由を語るかもしれなかったが、零も隠し事が彼女にある。香奈恵と愛が元は地獄の悪魔などとは伝えられない。
聖真学園、都心から電車で二十分程度の郊外にある女子校だ。都会に近いというのに驚くほど広い敷地と豊かな自然が特徴である。幼稚舎から大学まであるとはいえ、その広大な敷地に初めて来訪した者は驚く。
「しかし内偵を手伝ってくれって言われたけど」
「ん?」
聖真学園の敷地にある歩道を歩く早苗は、隣を歩く円に戸惑った表情を見せる。
「まさか生徒に化けて潜り込むことだとは思わなかったよ」
「それが一番手っ取り早いでしょ」
早苗と円は聖真学園の制服を着ていた。白い制服を着た二人はパッと見ても、違和感が無く周囲の生徒に溶け込んでいた。下校する生徒の流れに逆らって、二人は校舎へと向かう。
「相当敷地が広いみたいだけど、行く場所は分かってるの?」
「今日はとりあえず下調べだけど、向かってるのはあっちの校舎だよ」
「何でか、聞いていい?」
「ほら、このタイの色。この色によって、初等とか中等とか、分かるってわけ」
「なるほどね」
円の言葉に早苗は納得する。確かに周囲を見ると制服のタイが違うグループが居るが、背の大きさが随分と違う。円と早苗は青いタイをしているが、周りの青いタイをしている少女達と似たような年齢に見える。
「それにしても……円も制服が似合うね」
「えへへ、随分若いときに外見年齢を固定したしね」
「芽衣より歳食ってるくせに……」
「ふふふ、好きに言い給え」
呆れる早苗に向かって、円は胸を張る。しかし、そんな二人に視線が突き刺さる。
「ちょっと注目されてるよ」
「あれ、おかしいな……偽装は完璧のはずなんだけど。ああ、わかった」
「どういうこと」
「視線が胸に集まってるし」
「胸? ああ、そっか……」
早苗が納得している横で、円は慌てて胸を張るポーズを止めて、猫背になる。二人の外見は聖真学園にピッタリなのだが、胸のサイズが巨大すぎて目を惹くのだ。一人ならば、それでも誤魔化せたかもしれないが、二人並んではち切れそうな膨らみを持っていては隠しようがない。制服を大きく押し上げてテントを張っている巨乳は、女性でもつい見てしまうのだろう。
「こればっかりは仕方ないね。早く目的の場所を見て回ろう」
「はいはい」
早苗と円は自然な足取りで、目指す校舎へと近づく。
聖真学園はヨーロッパの建造物のような校舎で、静謐な雰囲気に溢れていた。緑が多く山や林が敷地内にあるのも、学園の景観を補強するのに役立っている。通っている女子も大人しい子が多いのだろう、学園の醸し出すムードに見事に溶け込んでいた。
普段は若い子のように華やいだ円や、明るい早苗も今は自分を周囲に溶け込ませるために、落ち着いた雰囲気を纏った。二千年近く生きているので、意識的に行えばムードを切り替えるのは、容易なことだ。広い校舎の外を二人は回り、学園の様子を頭に入れていく。そんな中、一人の生徒が早苗の目を惹いた。
「あれ、ここはタイの色が水色だよね」
「そうだよ」
「あの子、赤じゃなくて水色のタイをしてる」
早苗が目をつけたのは、背が頭二つほど低い生徒だった。本来ならば、もっと年齢が下の子が通う学校に居るのではないかと思われるのだが、周囲の生徒も特に注意などしていない。
「日本は飛び級無いはずだよね」
「うーん、特例かな?」
その生徒は早苗と円の視線に気づいたのか、彼女達を見返してくる。ここで急に視線を切ったら逆に注意を惹くのを知っている早苗と円は、しばらく相手と見つめ合う。不自然でない程度に目を合わせてから、二人はその場を立ち去った。
「すっげー、胸だったな」
早苗と円に見られていた零は、思いがけなくもとんでもない物を見て、思わず男言葉が漏れてしまう。零は胸のサイズを重視するというより、形に拘るタイプなのだが、それでもとんでもない爆乳にはつい目が行ってしまう。
「零、何を見てたの?」
「いや、凄い胸の大きな子が……って、真中先輩!?」
ぼんやりとしていた零は真中の質問に、思わず正直に答えてしまう。口に慌てて手をやるが、言ってしまった台詞を戻すことなど出来るわけがない。本人は随分と焦っているのだが、傍から見ると小柄な零のこのようなリアクションはただただ可愛いらしい。
「ほほう。零は女の子の胸は大きい方が好みなのかな? ちょっとショックだなー」
「いや、サイズより形の方が重要だと思いますけど……嶺先輩、十分に大きいし」
からかう嶺に対して、零は小声で答える。仲が良い先輩後輩が居る場面で、女性の胸に気を取られていたと思うと、恥ずかしくて仕方が無い。
「いやーん、零先輩可愛い!」
顔を真っ赤にしてモジモジと恥じらう零の姿に、香奈恵が黄色い声をあげる。確かにその姿は誰が見ても愛らしいと感じるだろう。香奈恵がギュッと零を抱き締めると、嶺も面白がって零に抱きつく。微笑ましい風景に、一緒に居た真中と愛も思わず笑みがこぼれる。だが愛は、先ほど通過した相手が誰だったかをしっかり確認していた。時が、刻一刻と迫っている。