薄い雲の隙間から、綺麗な月の明かりが差し込んでいる晩だった。コカイン畑で歩哨をしていたフェルナンデスは、この日もいつも通り何も起きないと感じていた。一応警備は行っているが地元の役人には鼻薬を効かせており、この国でも有数の強大な組織にわざわざ喧嘩をふっかけようとする勢力など滅多に居ない。万が一、軍の特殊部隊に襲われたとしても、正面から戦えるだけの人員と武装もあった。何も心配することは無かった。
「オラ! セニョール」
スペイン語でいきなり背後から挨拶されたフェルナンデスは、慌てて背後に銃を向ける。振り向いた先には、全身を青いスーツに包んだ怪人、ウェイドが立っていた。コカイン畑は視界を遮る物がほとんど無いというのに、フェルナンデスは数メートル背後に立たれるまで全くウェイドの存在に気がつかなかった。
「だ、誰だおまえは?」
「なあ、この近くでタコス売ってる店無いか? トルティーヤもついでにあると嬉しいんだけど」
「お、おまえは何を言ってるんだ!? だ、誰の差し金で来た?」
「ビーフでもチキンでもいいから、タコスが食いたいんだが」
フェルナンデスはアサルトライフルのセーフティがかかっているのに気付いて、慌てて解除する。ウェイドは流暢なスペイン語を喋っているので、話は通じているはずなのだが、銃器をぶら下げた怪人は一向に動じようとしない。
「くそったれ!」
恐怖に駆られてフェルナンデスは突撃銃の引き金を引いた。パパパという乾いた銃声と共に、相手の青いマスクに穴が開いて脳漿が飛び散った。ウェイドの身体が後ろに勢い良く倒れた。
「な、何だっていうんだ……」
「おい、どうした!」
銃声を聞きつけて、周囲から歩哨が集まってくる。相手が何もしないうちに射殺出来たことに安堵しつつ、フェルナンデスは冷や汗が押さえられない。今更ながら驚きで呼吸が荒れてきた。
「一体、何があった」
「侵入者だ! 早く来てくれ」
小走りに集まってくる仲間達に、フェルナンデスは振り返って大声をあげる。気の知れた仲間が駆け寄ってくることに、フェルナンデスはほっとした。
「侵入者!? そいつをどうした?」
「思わず撃ち殺しちまった。そこに転がってる奴だ」
やって来た五人の男達に、フェルナンデスは倒れているウェイドを指差す。血溜まりに倒れている青いスーツの怪人に、全員が顔を顰める。
「こいつ、何者だ?」
「わからん。タコスがどうとか言っていたが……」
「そうそう、タコスが食いたいんだよ、俺は」
いきなり聞こえた声に、六人の男はギョッとして固まる。恐る恐る視線を向けると、むくりと小柄な影が起き上がるのが見えた。
「タコスだよ、タコス。わかるだろ?」
「な、何を言ってるかわからねえよ!」
男達はアサルトライフルの銃口を向けると、一斉に射撃する。それより一瞬先に僅かにかがんだウェイドは、空中へと跳躍した。弾幕をかわしつつ、驚異的な高さまで跳んだウェイドは背後に背を逸らしつつて、腰のホルスターからハンドガンを取り出す。
「タ・コ・ス! タ・コ・ス!」
唖然とする男達に向け、空中の不安定な姿勢から、ウェイドはハンドガンを連射する。先程のお返しとばかりに、各自の額を鉛弾で穴を穿つ。
「折角南米くんだりまで来たんだから、タコスぐらい食わねえとやってられないだろう」
ウェイドが着地したときには、六人全員が地に伏していた。フェルナンデスは何が何だかわからないまま、意識が途絶えることとなった。派手な銃声を聞きつけたのか、ウェイドの耳に遠くから怒号や慌ただしく車両などが動く音が聞こえてくる。それと同時にウェイドのインカムにケリーからの連絡が入った。
「ウェポンGワン、銃声が聞こえたぞ。何があったか報告しろ」
「タコスを売ってる店を聞いたら、いきなり撃たれたんで、思わず撃ち殺しちまった」
「……了解。引き続き囮を続行せよ」
ウェイドのわけがわからない報告に、ケリーは一瞬だけ言葉に詰まったが、すぐに何事も無かったかのように指示を下す。ウェイドはハンドガンの弾を装填してホルスターに戻すと、死体からアサルトライフルを拾い上げて両手に一丁づつ持った。
「さてと、タコスを売ってる店は何処かな?」
ウェイドは物音がしている方向へと、無造作に歩き始める。すぐさま銃撃戦が始まり、周囲が混沌とし始めた。
「た、ただいま!」
「お帰り」
玄関先で珍しく大声を張り上げた麗に対し、リビングから唯が迎えに出る。普段は麗の帰宅時間には唯は帰っていないため、静香などが出てくるのだが、夏休みなので少年が直接来たのだ。心構えが出来ていない間にいきなり目的の人物が出てきたので、麗は思わず固まってしまう。
「あれ?」
「こ、こんにちは」
麗の背後から、おずおずという感じで小学生の少女達が挨拶する。そんな少女が五人も居たので、唯は驚いた。麗が学友を連れて来るとは、初めてのことだったからだ。悠久の時を生きてきた少女でも、上手く友人を作れているらしい。その事実に唯は頬を綻ばせる。
「他の人はどうしたの? 静香とか百合は?」
「静香さん達はリビングで休んでるよ。百合さんや芽衣さん達は仕事だね」
どことなく落ち着かない様子で聞く麗に、唯は答える。つい先程まで風呂場で恋人達と乱交していたが、今は全員が心地良い疲れと共に涼しいリビングで昼寝をしている。
「わかったわ。じゃあ、友達と客間を使うからお菓子と飲み物持ってきて」
「ん、了解」
「唯が持ってこないとダメよ。わかった?」
「わかったわかった」
高圧的に巨大な胸を大きく突き出して命令する麗に、唯は苦笑する。柄になく麗が随分と照れているのが唯にはわかるので、彼女の態度が少しおかしかった。
「それじゃ、行くわよ」
「うん……」
偉そうに廊下を歩き始める麗について、少女達が玄関に上がる。唯の脇を抜けて、麗達は廊下を進んでいく。かなり長い廊下を進んだところで、少女の一人が麗に話しかける。
「今のが船越さんの彼氏だよね」
「う、うん」
「いやーん、超格好いい!」
少女達は一斉に嬌声をあげる。携帯の待ち受けでも唯は見目良かったが、実物は物腰に気品があって、不思議なカリスマ性が醸し出されていた。
「船越さん、凄いじゃない」
「本当本当、あんなお兄さんと一緒に暮らしてるんだ。羨ましいなー」
少女達は姦(かしま)しく話し合う。中学生の美少年と恋人になったり同棲したりするのは、日常では有り得ないような話だから、無理も無い。少女達が送る羨望の眼差しに麗は若干たじろいでしまう。特に誕生日の主役である桜が尊敬するような目つきで自分を見ていることが、麗には理解できなかった。麗は桜達を案内して客間に入る。六畳ほどの部屋はテレビや飾りのために絵や置物などが置いてあるが、基本的にはソファとテーブルがあるだけでシンプルなものだ。
「でもさ、一緒に住んでるのはわかったけど、本当に恋人なのかな?」
「あ、それは私も思った」
実物の唯を見た少女達は、今度は麗との関係に疑問を投げかける。確かに一緒に住んでいるが、唯の麗に対する態度は年の離れた妹に接するようなものであった。確かに麗はびっくりするくらい胸が大きな美少女で、セックスアピールが抜群だが、いかんせん小学生には変わりない。人の良さそうな唯が、そんないたいけな少女に手を出すか疑問であった。
「う……じゃあ、どうすれば信じてくれるのよ」
「うーん、キスとか?」
「きゃー、それっていい考えかも」
少女達は好き勝手に話を進めるが、麗は躊躇してしまう。唯を紹介するのでさえ恥ずかしかったのに、それが人前でキスなどとはちょっと考えられなかった。そんな中、客間のドアがノックされ、少女達は一斉に静まりかえった。
「入っていいわよ」
「失礼するね」
麗の返事に応えて、山盛りの菓子類とコップ、それにジュースを持って唯がドアから入って来る。緊張する少女達に柔らかな笑みを見せて、テーブルの上へと「どうぞ」と言いながら持ってきたものを唯は並べる。そんな彼に、普段は大人しい桜が意を決して話し掛けた。
「あ、あの……」
「ん、何かな?」
「えっと、お兄さん……」
「麻生唯だよ。唯でいいよ」
「藤岡桜です。唯さんは、その、船越さんと恋人なんですか?」
桜の質問に、唯は困ったような笑みを浮かべる。さりげなく麗を見ると顔が真っ赤にして、そっぽを向いている。普段は唯に対し高慢な態度を取る麗だが、自分達が恋人同士だと、友人達には語ったらしい。そんな麗の態度が唯には可愛らしく感じる。
「麗が喋っちゃったんだ。内緒なんだけどね」
「ほ、本当なんですか」
口の前に人差し指を立てて、ウィンクする唯に桜は目を見開く。麗の同級生達に無言の驚きが広がる。
「じゃ、じゃあ、証拠を見せて下さい」
「証拠?」
尚も食い下がる桜に、唯は驚く。まさか証明してみせろとまで言われるとは思わなかったからだ。唯がチラリと麗を見ると、彼女は困っているような視線を唯に投げかける。
「わかった。いいよ」
唯はそう言うと、素早く麗の肩を引き寄せて、その唇をいきなり奪った。少女達は唖然とするが、キスされている麗も何が起きているのか、わからないような様子だ。
「ん、んんー!」
唇を割って麗の口内に舌が入ってくると、流石に彼女も慌てた。だが噛み付くわけにもいかず、麗は自分の舌で押し出そうとするが、唯は巧みにその動きをかわす。自然と舌を絡めるような形となり、二人は深く口付けをかわす。
「ん、んう、ん……ぷはっ」
たっぷりと三分以上口付けをして、ようやく唯が抱き寄せる力を抜き、麗が離れる。二人の間に唾液の糸が引き、それを見た麗が顔を真っ赤にして慌てて口を拭く。
「ちょ、ちょっと、何するのよ!」
「恋人だって、手っ取り早く証明しようとしたんだけど……嫌だったかな?」
食ってかかる麗に唯は優しく微笑む。その図々しさというか、大胆さに麗も抗議する気が失せてしまう。
「別に嫌じゃないけど、TPOを考えなさいよ」
「あはは、ごめんごめん。それじゃ、邪魔者は退散するよ。どうぞ、ごゆっくり」
胸をパンチしてくる麗から逃げるように、唯が去っていく。後に残された麗は、恐る恐る同級生達を見渡すが、返ってきたのは羨望の眼差しだった。
「凄い、船越さん!」
「ねえ、唯さんとはどうやって知り合ったの?」
「唯さんとは何処まで進んでるの?」
先程の情熱的なキスを見て興奮したのか、麗はたちまち質問攻めに合う。特に桜は憧れの麗が、素敵な恋人までいるということで、かなりエキサイトしていた。
(ちょ、ちょっと、唯……責任取りなさいよ)
慣れないシチュエーションに、麗が困惑したような顔つきになる。お子様達にどうやって自分達の深い関係を薄めて話すか、麗はその後の三時間たっぷりと頭を悩ませることとなった。
「ちょっとすみません、タコス売ってるお店を知りませんか?」
「死ねー!」
「撃て撃て撃て!」
アサルトライフルを乱射しつつ、支離滅裂とも言える質問をしてくるウェイドに、警備をしていた男達は撃ち返す。コカイン畑の真ん中にいる覆面の怪人に向けて、密林の木々の隙間から男達は応射している。遮蔽物があるのと圧倒的な数で押しているというのに、射撃している男達の顔は一様に恐怖に染まっている。かなりの距離があるとはいえ、多数で射撃しているのでウェイドには確実に当たっているはずなのだ。それなのに、ウェイドはタコスを要求しながら、ゆっくりと近づいているのだ。
「ぐえっ!」
銃で反撃を試みていた警備の者の一人が、右側から頭を撃たれて倒れた。何が起こったか把握する前に、一人、また一人と側面から男達が地に伏して行く。
「新手だ! 身を隠せ!」
一人の叫びと共に、ごろつき達は位置を変えて、十字砲火から身を隠そうとする。敵の増援は密林に上手く紛れているようで、その姿は見えない。何処から射撃されたのか、検討もつかなかった。
「相手さんも、装備の割には結構やるようで」
「木偶の坊というわけではないからな」
感心したような声を出すラディーに対し、スナイパーライフルを構えたケリーが無線で応える。時たま遮蔽から不用意に出てきた相手を、ケリーが撃ち殺すと、警備の人間達は木々に隠れたまま何とか応戦しようと、銃だけ突き出して乱射する。
「ウェポンGツー、スリー、フォー、ファイブ。各自、交戦せよ。こちらは援護する」
「了解、ウェポンGシックス。任せて下さいな」
エージェント・ロウは跳躍力を生かして、木の枝や幹を蹴ってかなり高いところまで上り、木々を伝って武装集団の背後へと回る。一番後列の相手が居る場所まで来ると、彼はかなりの高さにも関わらず、飛び下りた。
「はい、お疲れさん」
「うぐっ!」
背後の物音に振り向く暇も無く、ロウは相手の一人の延髄にナイフを差し込む。人体の急所を破壊された相手は、叫び声をあげることなく倒れた。そのまま身を忍ばせると、暗闇の中でロウは一人また一人と目標を屠っていく。
「な、何だ?」
男達の耳に、風の唸りのような異様な物音が入ってくる。前方の暗闇を見透かそうとしたところに、闇の中から巨大なブーメランが飛来する。
「ひっ!」
いきなり現れた飛行物体に、身を隠す間も無く一人の首が刎ねられる。そのまま弧を描くと、ブーメランは数人の身体を切り裂いて飛び続ける。
「な、何だって言うんだ」
人体を容易に切り裂く脅威のブーメランに、男の一人が木の根元へと身を伏せる。だがその動きを察知したかのようにブーメランは軌道を変え、頭蓋骨を断ち割って飛び去った。
「隠れても無駄なんだよね」
猛烈な勢いで返ってきたブーメランを片手で受け止め、ラディーが勝ち誇る。彼は磁力を操ることによって、鉄製の巨大ブーメランを自由自在に操ることが出来た。
「その通り。隠れても無駄なのよ」
レイルの呟きと共に、闇夜の森に爆炎が吹き上がった。爆発は小規模ながらも、ピンポイントに敵兵を狙い撃ちにし、遮蔽物に隠れた男たちを次々と吹き飛ばす。暗闇が紅い炎で何度も照らし出される。空間を把握して、爆発を起こすのはレイルの得意とする技だ。
「うぐあ……」
胴体や四肢を吹き飛ばされ、重症を負った男達は苦しげな呻きを残して、息絶えていく。まるで手榴弾の直撃を次々と食らっているかのようだが、投擲者の影も形も見えなかった。ただレイルが微笑むたびに、一人、また一人と人数が減っていく。
「ち、ちくしょう、どうなってるんだ」
「悪魔か何かか!?」
周囲に飛び交う悲鳴に、男達は恐慌を来たし、やたら滅多に乱射する。その勢いに、思わずラディーとレイルが木の背後に身を伏せる。高い防弾力を持つ強化スーツを着ているとはいえ、アサルトライフルの弾丸を食らうのは得策と言えないためだ。
「くそ。やけっぱちになっているな」
「ここは任せてくれ」
ぼやくラディーに対し、ガイが応える。ガイは近くに立っている巨木の裏へと回ると、背負っていた刀で抜き打ちざまに斬りつけた。太い幹をまるでバターを切るかのように刀が通り抜け、ガサガサと葉が音を立てながらゆっくりと倒れていく。巨大な木に押しつぶされ、ドミノ倒しに幾本もの木が巻き込まれてへし折られていく。
「ちくしょうー!」
隠れる場所を失い、生き残った男達は最早背を向けて逃げる以外の選択肢を失った。闇夜で特殊部隊らしき敵に勝つ見込みは無い。男達は暗闇に視界を遮られながらも、必死に走り出す。武器を投げ捨てる者まで居た。だがウェポンGは非情だった。
「な、何だ?」
甲高い音が近づいて来たと思った途端、またもや彼らを襲ったのは爆発だった。レイルのピンポイント爆発と違い、砲弾が盛大に破片を撒き散らして、兵隊を吹き飛ばす。シェリが戦車を操り、ケリーが入力したGPSの座標へと、正確に射撃を加えた結果だ。降り注ぐ砲弾に残された人間は成すすべは無かった。
やがて砲撃が途絶え、辺りは虫の鳴き声しか聞こえなくなった。人の気配が消えたことを確認して、エージェント達は遮蔽物からゆっくりと立ち上がる。
「こちらウェポンGシックス。状況を報告せよ」
「ウェポンGセブン、戦車の状態は良好ですわ。いつでも行けます」
「ウェポンGスリー、フォー、ファイブ。索敵中ですが、目標は殲滅された模様」
「ウェポンGツー、敵影発見できず」
「ウェポンGワンはどうした?」
次々と隊員達から報告が入る中、ウェイドの応答が無いことにケリーは眉を顰める。
「ここに居るよ」
インカム越しではなく、ケリーの背後から直接ウェイドが話しかけた。ケリーが振り向くと、銃弾で穴だらけにされた服を着たウェイドが倒れた木の上へと座っていた。幾ら銃撃やその他の破壊音が大きかったとはいえ、気づかれずに近くまで相手が来ていたことに、ケリーは驚きを隠せない。
「逃げようとしてた奴らにタコスを売ってる場所があるか聞こうとしたら、走り回る幼稚園生みたいに捕まえるのが厄介だったぜ」
「それで、聞けたのか?」
「車で一時間の近くの街だそうだ。それ以外だと、ここら一帯を仕切っているマフィアのボスの屋敷に行けば、台所にあるそうだ」
「場所は分かるか?」
「道があるらしい。それを目印にすれば迷わないそうだ」
一見行動に一貫性の無いウェイドだが、いつの間にか作戦目標を聞き出していたことに、ケリーは素直に関心する。目的地へのルート探しが、これで省けた。ケリーは再び部下達に指示を出そうと、インカムに手をかけようとする。そんなケリーを気にせず、ウェイドは自身のスーツを摘んで見回す。
「しっかし、スースーするな、これは。折角の服が穴だらけだ」
「あれだけ派手に撃たれたなら、仕方ないだろう」
「着替えるか」
ウェイドが青いスーツに手をかけ、脱ぎ捨て始めると、ケリーは慌てて背後を向いた。
「あれ、誰だろう?」
見慣れぬ携帯電話の着信表示に、唯が首を傾げる。夕食後に自室でゲームをのんびりプレイしていた唯は、携帯の呼び出し音に中断を余儀なくされた。オレオレ詐欺だったら嫌だななどと思いつつ、唯は携帯に応答する。
「もしもし」
「もしもし、唯君? 私、三島だけど、覚えてるかな?」
「三島……」
何処かで聞いた名前だと、唯は記憶を辿る。唯の超聴覚は、相手の声色からすぐさま相手が誰かを思い起こさせた。
「ああ、ミラージュでお世話になった」
「そうそう、金城社長第二秘書の三島」
「お久しぶりです」
芽衣の秘書とは思えない、気さくで好奇心旺盛な女性を思い出し、唯は緊張を解いた。彼女には随分と自分と芽衣の間を聞かれたことを、唯は覚えている。
「どうしたんですか、急に?」
時たま芽衣に叱責されそうになって、唯に泣きついてくる重役などが居るので、ミラージュの社員から電話は珍しくない。唯は急な電話にも落ち着いて応対する。
「実は朽木先輩が暴れていて……」
「え? 由佳さんが?」
申し訳なさそうな三島の言葉に、唯はギョッとする。一瞬、業火を撒き散らして暴れる由佳を唯は想像するが、よく考えてみれば一般人を前にそんなことをするわけがない。三島が言っているのは別のことだろう。
「今、居酒屋に居るんだけど、随分と飲んでてね。それで、唯君を呼んで来いって……」
「そ、そうなんだ……」
三島の言葉に、唯はたじろぐ。一体、何を思って由佳が暴れているかが、唯にはわからなかったからだ。だが呼ばれているというのなら、行かなくてはいけないだろう。唯は場所を聞き出すと、慌てて外へと飛び出した。
朽木由佳の機嫌は最悪であった。同じ秘書課の人間にチェーン店の居酒屋へと飲み会へと誘われたのだが、蓋を開けてみれば合コンだったのだ。唯にかまけて人付き合いの悪い由佳だが、何日か前にどうしても飲み会に来て欲しいと言われてしまった。仕方なく、たまには付き合ってやろうと思って来たのだが、騙されていたのだ。聞けば何処かの総合病院の若い医師達とセッティングをしたのだが、その際に提示された条件で、何人かミラージュの美人を連れて来るということであった。それでもやって来てしまったものは仕方なく、由佳は参加することになった。
最初こそは普通に受け答えしていた由佳であったが、露骨に酒を飲ませようとする若い男達に嫌気がたちまち差した。類い希なる美人で、息を飲むほど胸が大きい由佳だから、男達が必死になるのも無理はない。下心丸出しでお酌してくる相手に、由佳の機嫌は最悪となった。
「全く、見え見えなのよ、あんた達は」
ビールのジョッキを一息に飲み干し、由佳が悪態をつく。彼女の周囲には、空になったビールジョッキと紹興酒の瓶が大量に置かれている。その異様な飲みっぷりに、周囲の人間達は声も無い。
「相手を酔わさないと、女一人もコマせないわけ? それって男としてどうなのよ? 医者のお坊ちゃんってのは、そんな意気地無しってわけ?」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
「じゃあ、どういうわけよ? 何でこんなにガンガン飲ませたわけ?」
弱く口答えする一人に、由佳は据わった目を向ける。その間にも、ビールジョッキを更に一つ空けてしまう。
「お生憎様、私は唯君一筋なんですからね。あの子だったら、こんなお酒に頼らなくても、視線一つでもう堪らなくなっちゃうのよね……店員さん、ビールお代わり!」
一人で気勢を上げる由佳の姿に、周囲は最早合コンどころの騒ぎではない。雰囲気というものが台無しである。
「朽木さん、そろそろ飲むのは控えた方が……」
「あんですってー?」
由佳を諫めようとした女性の同僚に、彼女はどろんと濁った目を向ける。その剣幕に、女性は思わず身を引く。普段は社長専属の秘書として、重役より重い発言力のある由佳だが、この日はビジネスウーマンとしての威厳とは別に鬼気迫るものが滲み出ていた。
「あ、あの、唯君って誰なんですか?」
「何ですって?」
話を振った相手を、由佳はキリッと睨み付ける。だがすぐさま相好を崩して、ふにゃーとにやけるような笑顔へと変わった。
「唯君は、私のご主人様でー、恋人なのー」
頬を緩めながら、えへへと笑う由佳の姿に一同は声も無い。だが恋人はともかく、ご主人様というのはどういうことかと、全員の脳裏に疑問が過ぎる。社長のお気に入りで、社員が芽衣からの叱責から逃れるために最後に頼ると噂される少年がその相手なのだから、特にミラージュの女性社員達は邪推せざるを得ない。
「とりあえず、私を帰そうと思ったら、唯君を呼んでこーい!」
無茶な要求をし始めた由佳に対し、周囲は顔を見合わせるばかりだ。由佳は飲み放題を良いことに、次々と酒を注文してはグビグビとビールのジョッキや紹興酒を空けていく。そんな中、三島は由佳に気付かれないように、席を離れた。そして、彼女が戻って来たときには、少年を伴っていた。
「お待たせしました」
「あぁ、唯君来たー!」
申し訳なさそうに周囲へと軽く頭を下げる唯に対し、由佳は能天気に嬉しそうな声をあげる。はしゃぐ由佳に引っ張られて、唯はしぶしぶ彼女の隣へと座った。席についた唯を、周囲の人間はまじまじと観察する。男達の想像と違い、唯はまだ年が相当に若く、顔立ちが整っているとはいえ、由佳のような妙齢の女性とは吊りあいそうにない。それなのに、由佳は同席者達にも構わず、唯の身体へと抱きつく。
「唯君もお酒飲もう。ね、ね」
「いや、ダメだって。まだ未成年なんだから」
「えー、つまんなーい」
普段とは違い、子供っぽく駄々をこねる由佳に、唯も困惑してしまう。酔っ払って暴れていると聞いてはいたが、本当に暴れているとは思わなかったからだ。
「ねえ、唯君も楽しもうよー」
「由佳さん、もう帰ろう。随分と飲んでるようだし、僕が来たら帰るんでしょ」
「えー、やだー。折角唯君が来てくれたんだから、これからじゃない」
アルコールの匂いを漂わせる由佳を、唯は必死に説得しようとする。だが珍しく由佳は唯の説得に素直に頷こうとしない。
「じゃあ、チューしてくれたら、帰ってあげる」
「ちょ、ちょっと……」
「チューしてー」
人前にも係わらず、由佳は唯へと顔を近づける。本来ならば場をわきまえて抵抗するべきなのだろう。だが、唯は周囲の男性達からの視線が気になった。そもそも今日の飲み会がどんなものか知らないが、参加者に男が随分と多いと感じる。嫉妬が混じった目で見られて、唯は由佳にあえて抵抗せず口付けを受け入れた。柔らかな由佳の唇の感触が唯に伝わるが、普段と違いアルコールの匂いがする。
「ほら、チューしたでしょ。約束通り帰ろう」
「えー、あと少しいいでしょ?」
軽くキスをした後も、由佳は我侭を言って帰ろうとしない。唯は唖然としている周囲をあえて無視しつつも、弱った表情になるが、意を決して由佳の耳元に囁きかける。
「これ以上ここにいるのは周りの人と、由佳さんのためにもならないから、あんまり我侭を言うとお仕置きするよ」
「……帰る」
囁き声は小さかったが、唯の一言に由佳は弾かれたように立ち上がると、帰ろうとする。酔いによってフラフラである由佳の帰り支度を手伝い、唯は彼女を支える。恋人に接するかのような由佳の態度に、誰も声が出ない。
「それじゃ、三島さん。ご迷惑をおかけしました」
「ううん、気をつけて帰ってね。ありがとう」
三島に一声かけてから、唯は由佳と共に出て行く。後には未練がましく由佳を見送る男性達と、白けてしまった女性達が残されることとなった。
何とか表へと由佳を連れ出したが、思った以上に彼女の足取りが覚束ない。唯は肩を貸して彼女を何とか支えようとする。
「とりあえず、タクシー探しに行こうか」
「えー、やだー。歩いて帰りたい」
我侭を言う由佳に苦笑しつつ、唯は大通りへと向かおうとする。幾ら能力者だとはいえ、少年である唯の力では由佳を支え続けるのは難しい。おまけに家は歩いていける距離ではなく、唯も地下鉄を使ってここに来たのだ。
「……怒ってる?」
「いや、全然。正直に言うと、驚いている」
由佳の質問に、唯は軽く微笑んで答える。
「そうなんだ……良かった。実はね、唯君が来てくれて嬉しかったの」
「何で?」
「合コンだって知らなくて、騙されてね。その上、相手が下心見え見えだから、頭に来ちゃったの。だから、困らせてやろうと思って……でも、唯君が本当に来てくれて、助けてくれたから、凄い嬉しい」
「合コンだったんだ」
合同コンパに行くという年齢には唯はまだ早いが、竜太や慎吾との会話でどんなものかは知っている。道理でミラージュの社員では無さそうな、男が数多く居たわけだ。そう考えると、自分が迎えに来てよかったと唯は実感した。
「唯君、幸せ……」
「う、うん」
嬉しそうに豊満な身体を押し付けてくる由佳に対し、唯も嬉しいのだが、身体が支えるのがそろそろしんどくなってきていた。だが身体が重いなどとは口が裂けても言えるわけもなく、唯は大通りを歩きながら、タクシーがすぐ見つかるのを願うしかなかった。
「任務完了だな……」
戦車の上から、焼け落ちていく広大な屋敷を目にして、ケリーが呟く。表向きは麻薬カルテルのボスを暗殺するのが今回の作戦であった。だが実際には暗殺とは程遠く、正面戦争によるカルテル壊滅という結果に終わった。もちろん屋敷から逃げ出そうとしたボスもレイルが爆殺している。無論これがスマートな方法ではないのはケリーも重々承知で、犯罪者とは言え、恐ろしい数の無用な殺生も行っている。だがウェポンG達の戦闘能力を測るという、真の目的はカルテルのメンバー達を実験台にして、成功したと言えた。
「おまえ、何処からそれ手に入れて来たんだ?」
「台所だ。生に近くて、イマイチだ」
戦車の上に座って、タコスを頬張るウェイドに対し、ロウは呆れて二の句も告げない。屋敷に真っ先に乗り込んで、銃撃戦を始めたというのに、目標であるボスを無視して料理を作っていたとは信じられなかった。
「意外に脆かったですね」
「ああ、そうだな」
戦車の縁に腰掛けているレイルの言葉に、ケリーは素直に同意する。
「てっきりもっと苦戦すると思ってたんですが……」
「相手は所詮、人だ」
レイルに向かってケリーは淡々と告げる。だが次の一言には、自然と力が入った。
「我々の本当の相手は人ではない。ガーディアン・オリジナル……悠久の時を生きてきた、化け物だ!」